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大阪地方裁判所 昭和30年(ヨ)582号 判決

申請人 森田汽船株式会社

被申請人 片木登喜雄

主文

申請人の本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

一、申請の趣旨及びこれに対する申立

申請人は「被申請人は別紙目録記載の株式につき譲渡名義書換等一切の処分行為をしてはならない。第三債務者は右株式につき被申請人の請求によりその名義書換をしてはならない」との仮処分判決を求め、被申請人は主文第一項同旨の判決を求めた。

二、申請の理由

1  申請外加藤博はタンカー専問の運輸業を営む申請会社に昭和二五年ごろから会社課長として勤務していた者であるが、昭和二八年七月一〇日ごろから昭和三〇年二月ごろに至る間に申請会社が株式会社住友銀行川口支店に保護預けしていた丸善石油株式会社の株券(一株の額面五〇円、一〇〇株券)等の中から四九五、〇〇〇株を無断受け出し、申請会社の会社印及び社長印を盗用して申請会社取締役社長森田喜代八名義の約束手形、株式譲渡証書及び担保差入証を多数偽造した。

2  かくして、加藤は申請会社名義を冒用してこれら偽造手形により被申請人から直接金融をうけ、その担保として別紙目録記載の株券合計一三五、〇〇〇株(以下単に本件株式という)にこれら偽造に係る株式譲渡証書を添えて担保差入証と共に被申請人に交付した。

仮りに、被申請人と加藤の冒用に係る申請会社との間に申請外平野町倉庫株式会社(以下単に平野町倉庫という)が介在するとしても、右株券が申請会社の所有に属すること、平野町倉庫が自己の貸付金の担保として預り中のものであること及びこれを担保として被申請人が同倉庫に貸出す金員が申請会社の許に廻されるものであること等の事実を被申請人において知悉していたのであるから、被申請人がたとい加藤と直接交渉がなくても法律上は被申請人において平野町倉庫を介して直接申請会社に貸付けその担保として申請会社より直接右株券を取得したものと看做し得るのである。

仮りに、被申請人が平野町倉庫に貸付けたものであるとしても、右株券については、加藤が申請会社名義を冒用して平野町倉庫の債務の物上保証としてこれを同倉庫を通じて被申請人に交付したものとみることができる。

以上いずれにせよ、申請会社の関係では基本債務もなく且つ株式譲渡証書並に担保差入証書の偽造の事実により担保差入契約も無効であるから、本件株券は申請会社に返還されなければならない。

3  仮りに、被申請人主張の如く、平野町倉庫が申請会社に本件株券を担保として貸付け、次いで被申請人が平野町倉庫に右株券を再担保に取つて金融したものであるとしても、被申請人には次の理由により右株券の返還義務がある。

(イ)  小切手法第二一条のいわゆる即時取得の規定は、小切手が偽造のものであるときは、その適用なく、真正に成立した小切手が盗難、遺失等により無権利者の手に帰しそれを第三者が取得した場合にのみ適用がある。右法理は商法第二二九条によつて同規定の準用される株式についても同様であつて、株式に添附される譲渡証書が真正に作成されてしかもそれが盗難遺失等によつて無権利者の手から第三者に移つた場合においてはじめて即時取得の問題とされるのである。本件の如く株式譲渡証書が偽造に係るときは、即時取得の問題を考える余地は全く存しないから、被申請人は本件株券の上に何等の権利を取得するものではない。

(ロ)  本件の如く株券担保の場合には小切手法第二一条を準用する商法第二二九条の適用はない。即ち株券の善意取得の制度が認められた所以はその流通性確保のためと考えられるが、この趣旨からいうと、小切手法第二一条にいわゆる「取得」の法意は、これを株券についていえば、売買、贈与の如く前所有者の手中から次の所有者へ完全に株式上の権利の移転が行われるような流通を予想しているものというべきで、担保として株券を一時預つているといつたいわば流通の止つている流通ともいえないような事態までも保護する必要は存しない訳である。いいかえると、本件の如く担保預りの場合には、まだ法の予想した流通に株券が置かれていないものというべく、株式の取得とはいえない。

(ハ)  返りに商法第二二九条の適用があるとしても、平野町倉庫において本件株券取得に際し重大な過失が存し、しかも被申請人は加藤の前記偽造の事実を知つていたものであるから、被申請人は平野町倉庫が本件株券につき無権利者なることを知れる悪意の取得者である。仮りに悪意でないとしても、被申請人の本件株券の取得については重大な過失が存する。

A 平野町倉庫の重過失について

平野町倉庫の代表取締役である西尾清一は加藤より本件株券を担保として金融方を求められた際、1株券に添附された譲渡証書に表示されている申請会社の取締役社長森田喜代八の印影と同社長の印鑑証明の印影を照合し、且つ小切手振込による印鑑照合をした。2丸善石油株式会社へ行つて株券の真正なること及び申請会社が所有者なることを確めた。3平野町倉庫の社員長尾正俊をして申請会社を調査させた、というのであるが、かゝる小切手振込による印鑑照合の事実はなく、長尾の調査も亦虚構の事実である。西尾が担保物件自体に重点を置いて金融したというのであれば、加藤とは別個に独自の立場で調査すべきであつて、殊に丸善石油株式会社における調査にしても、加藤が独りで行くのを制止したというのであれば、一層のこと疑問を持つて何等かの方法で加藤を通ぜず、自ら直接に調査すべきであるのに、加藤の言に従い同人と同行して調査したに過ぎない。又加藤が西尾に申請会社の社長に会うなといつたのが本当とすれば、西尾が社員の長尾をして申請会社に調査に赴かしめたことと矛盾する。更に長尾が調査に赴いたとしても、その証言の如く会社幹部が不在なれば、西尾としては長尾に今一度申請会社に行かせるとか、責任重役の帰るのを待つとかの措置を講ずべきであつた。西尾のした調査とは結局一面識の加藤の言葉を全面的に信用し、株券自体についての調査、特に申請人の意思の確認については全くこれをなさなかつたものということができる。加藤が申請会社の会計課長であることを調べ、申請会社の信用資産状況を調査して安心していたというのであれば、すでにそのこと自体がかゝる多額の金員貸付においては、重大なる過失があるものといえよう。従つて、本件株券を担保にとつた平野町倉庫は善意取得の保護をうけず、株式上の権利を取得することにならないのである。

B 被申請人の重過失について

被申請人が西尾との交際も左程密接なものではなく、従つて西尾に対する融資も結局担保物件に信用を置いた貸付であつてみれば、被申請人の立場から西尾とは別個に独自の立場から、本件株券につき調査すべきであつた。その調査は株券自体が真正であるとか、申請会社が丸善石油の株を沢山持つているとかいつたことではなく、申請会社の意思に基いて本件株券が流通に置かれているかどうかの点につき仔細に調査すべきであつた。しかも、この調査は決して難しいことではなく、申請会社が丸善石油株式会社に対する電話一本の照会で可能だつたのである。殊に被申請人は西尾の場合と異り、犯行の発覚を恐れて極力直接の交渉を制止した加藤とは何の交渉もなかつたのであるから一層照会は容易であつた筈である。然るに、被申請人は西尾を信用するでもなく、株券の身元を確かめるでもなく、漫然数百万円にのぼる多額の融資をしたものであつて、金融専門家に似ざる失策を演じたものというべく、結局重過失があるものといわなければならない。

殊に、申請会社の取締役社長森田喜代八は長者番付にも載り、申請会社は一流市中銀行との取引があつて、市井の高利貸から金融をうける必要がなかつたし、又本件株券は一流株と称せられ、価値の高いことは公知の事実であつたから、本件株券を以てすれば敢て市井の高利貸を煩わすまでもなく一流銀行から容易に低利の金融が得られるのである。これ位のことは、居村農業協同組合の理事長もしている金融の玄人である被申請人としては、金融常識として知つておるべき筈のことであり、又その結果申請会社がかゝる株券を担保に市中の高利貸から金融を求めるが如きことに被申請人として疑問を抱くのが当然である。疑問を抱けば申請会社なり、丸善石油株式会社なりに電話一本の調査をしさえすれば、一切の事情が即時に判明した筈である。この点にも被申請人に著しい不注意がある。

又被申請人が本件株券と共に受取つた申請会社振出名義の約束手形には、受取人として加藤商会加藤博の記載があり、第一裏書欄には加藤商会の住所として大阪市西区川口町十番地なる記載が存する。被申請人が金融業者の常識に従つて振出人に問い合わせるか、或は加藤商会の存在を一寸調べれば、その架空なる事実が一切判明した筈である。又右手形の記載によると、被申請人に対する裏書人として第二裏書欄に大同株式会社西尾清一の記載があるが、この会社はその住所として記載されている大阪市西区京町堀通一ノ一七には登記簿上存在せず、法律上会社ではない。西尾自身の存在が右の如く二重人格的な甚だ不明瞭な存在であつて、市中の高利貸であること明かであるから、被申請人としても当然一応の疑を持つべきものと考えられる。然るに被申請人が本件株券を担保として貸付けた金は、被申請人が理事長をしている居村農協組の金であつて、平野町倉庫に対する貸出は違法行為になるため、被申請人として十分な調査を遂げなかつた。

以上の諸点からして、被申請人にも本件株券を担保として取得するにつき重大な過失があるといわざるを得ない。

(ニ)  仮りに、被申請人が本件株券を担保として取得した当時前記のような重過失がないとしても、被申請人が即時取得を主張し得るのは、かかる担保権のみであつて、本件株券の上に行使し得る完全な権利ではない。そして被申請人が本件株券を完全に取得したのは本件株券に関する一切の事情を被申請人が知つた後であるから、被申請人は本件株券の完全な取得については、悪意であつたといわなければならない。

4  申請会社は被申請人に対し株券返還請求の訴を提起すべく準備中であるが、被申請人は第三債務者丸善石油株式会社に対し目下強引に本件株券の名義書換を要求しており、申請会社より株券喪失届を提出して一応名義書換の拒否を求めているものの、第三債務者においてもし書換を終れば申請会社は甚大な損失を被ることになる。これに反し、被申請人は既に西尾より充分なる代り担保の提供を得て損害を被るおそれが全くないし、又西尾についてみても、既に加藤より日歩一八銭から二七銭の高利を得て殆んど損害のない状況である。これらの事情を賢察の上申請の趣旨記載通りの仮処分判決を求める次第である。

三、被申請人の答弁

1  申請人主張の1の事実中、申請会社がタンカー専門の運輸業を営む会社であることは認めるが、その余の事実は不知。

2  同2の事実は否認する。本件株式に添附された譲渡証書の譲渡人の記名押印は、丸善石油株式会社の株式課備付の届出印影及び申請会社の印鑑証明書の印影と全く同一であるから、真正のものであつて、偽造ということはできない。被申請人の融資の事実関係は次の通りである。

被申請人は平野町倉庫に対し、(1) 昭和二八年一一月一一日金三〇〇万円、(2) 昭和二九年四月六日金二〇〇万円、(3) 同月二八日金二〇〇万円、(4) 昭和三〇年一月二九日金三五〇万円をいずれも利息は日歩四銭、弁済期日は二ケ月後(但し右(3) は一ケ月後)と定めて手形貸付をなし、同会社より右総債務の支払を確保するため、右(1) と同日に六万株、右(2) と同日に四万五千株、右(3) と同日に四万株、右(4) と同日に五万株、計一三万五千株の本件株券を各株券上の株主名義人たる申請会社代表取締役の記名押印ある譲渡証書及び平野町倉庫の処分承諾書添附の上担保として譲渡を受け、平野町倉庫が右債務の履行を怠つた場合には、これを処分して債権の満足に充てること及び本件株券に瑕疵を生じ又は価格が低落した場合には適宜被申請人において処分し得ること、この場合には他の担保物件を更に提供しなければならないことを約した。右(1) の債権については昭和二九年三月二五日弁済を受け、他の債権についてはその後手形書換をなして期限を伸長し、最終弁済期日は右(2) については昭和三〇年三月二二日、右(3) については同月一三日、右(4) については同月二七日となした。

被申請人は申請会社会計課長の加藤とは全然面識なく申請会社とは全く未知の間柄なのであつて、申請会社に融資したものではない。

3  申請人主張の3の(イ)に対し、

仮りに本件株券に添附された譲渡証書が申請人主張の如く偽造であるとしても、かかる偽造の場合にも商法第二二九条の適用を受け、譲受人が善意で且つ重大な過失がない限り株式の善意取得は何等妨げられないのである。(旧商法第二二九条参照)

4  申請人主張の3の(ロ)に対し、

株式を担保とするに当り株券に白紙譲渡証書及び処分承諾書を添えて債権者に交付した場合、特に反対に解すべき事情がない限りいわゆる売渡担保の一場合と見るべきであつて、しかもその趣旨は担保物件たる株式上の権利の移転を内容とし、只債権者においてこの権利を担保の目的にのみ利用すべき債権的拘束を受けるに止まるから、所有権の善意取得と同様に規律せらるべきものであるばかりでなく、株式に対する質権につき善意取得制度が認められていることが明白である以上、これと同様の経済的作用をもつ売渡担保についても、かかる善意取得の適用されることは当然である。

5  申請人主張の3の(ハ)に対し、被申請人及び平野町倉庫に本件株券取得につき悪意又は重大な過失の存するとの点は否認する。

(1)  平野町倉庫の代表取締役西尾清一すらも加藤の右犯行が発覚するまでその貸付を申請会社との間の異常なき取引と信じており且つ取引の当初において厳重な調査をなしたものであつて、被申請人は加藤とは全然面識もなく、本件株券は前記の如く被申請人の平野町倉庫との取引により同倉庫を経て被申請人に移転しているのであつて、これらの点に徴すれば、平野町倉庫は株券取得につき善意無過失であり、被申請人においても平野町倉庫からの株式取得につき固より善意である。

(2)  被申請人の重過失はない。

A 被申請人は昭和二四、五年ごろ、肥料卸商を業とするマサル産業株式会社から肥料の購入を始めたことから当時同会社の代表取締役であつた西尾清一と眤懇になり爾来同会社より肥料の購入を続ける一方西尾と交際を続けて来たが、その後西尾は新たに大阪市内に平野町倉庫を設立して金融業を開業するに至り、被申請人は来阪の都度同人の許に立寄り断続的に金銭貸借取引をも始めるようになつた。

ところで、本件株券を担保とする最初の金三〇〇万円の貸付については、昭和二八年一一月初ごろ西尾より金三〇〇万円の融資方申込の連絡を受けて貸与条件、担保物件等の概略を聞いた上数日間を資金の準備に費し、同月一一日平野町倉庫において西尾より担保たる本件株券の呈示を受けた。被申請人は株式年鑑によつて申請会社が丸善石油の株三〇〇万株を所有している事実を知り更に西尾より申請会社代表取締役の印鑑証明書を示して貰つて、株券に添附された譲渡証書の譲渡人の印影と照合して相違ないことを確認し、野村証券株式会社大阪支店に株券を持参して株券の真正なことを確かめた上、平野町倉庫に金三〇〇万円を貸付けたものである。而して昭和二九年三月二五日右貸付金の返済を受けたことは前記の通りである。

前記昭和二九年四月六日及び同月二八日の貸付の状況も右と全く同様である。最後の昭和三〇年一月二九日の貸付経緯も同様であるが、同一会社の株券で相当多額の貸付をすることとなるので、念のため株価及び丸善石油株式会社の資産内容を大井証券株式会社において調査し更に申請会社の内容をも参考までに西尾に尋ねたところ、西尾はその点については絶えず充分調査してあるといつて興信所の信用調査書を示したので、同書面により申請会社に新造船もあることを知り運営資金の必要な所以を納得し、西尾の手許に申請会社の譲渡証書ある株券が相当数ある根拠を知つたのである。更に被申請人は西尾と雑談中最近多くの船会社は皆造船疑獄を起しているに拘らず申請会社に限つてこれを起していないこと、それは一面にはこのような金融策があづかつて力あること、その様な点を考慮すればこの様な金融により通常の銀行金利以上の金利負担をすることも決して不利益でないこと等を聞き、西尾が本件株券を取得した経緯につき愈々信頼を深めたのである。

このように、被申請人の本件株券を担保とする前記各取引は株券の担保価値に対する信頼と西尾に対する信用とを基礎として行われたものであつて、被申請人は申請会社若くは加藤と平野町倉庫若くは西尾との間の本件株券に関する取引の経緯は全く不知という外ないのである。

B 申請人は申請会社は市井の金融業者に融資を求めねばならないような会社ではないのに被申請人において自己のなす融資が平野町倉庫を通じて申請会社に融資されるものであることを知り乍ら、本件株券を担保として平野町倉庫に融資したのは重過失であるというのであるが、被申請人としては前記の通り飽くまで平野町倉庫に融資したものであつて同倉庫及び申請会社間の取引とは何等の関係なく、被申請人の貸付金が平野町倉庫により如何なる用途に使用せられるかは敢てせんさくする必要もなかつたし、又取引の儀礼上さようなことは聞くべきことでないから、当初右両者間の取引を念頭においたこともない。のみならず、相当の大会社と雖も、いはゆるつなぎ資金として市中の金融業者の金融をうける場合のあることは、現在往々みられる事実であるから、申請会社が市中の金融業者を利用したとしても敢て異とするには当らない。従つて被申請人には重過失がない。

C 申請人は被申請人の所持せる約束手形(甲第五号証)に加藤商会加藤博の住所氏名の記載がある事実等を以て被申請人の重過失を認める根拠の一としているが、被申請人は本件株券の事故発生まで右約束手形は見たこともなかつた。即ち、本件事故発生後、被申請人は前記西尾に対し増担保を要求し、同会社より債権担保として、(イ)金額六〇〇万円振出日昭和三〇年一月一二日、支払期日同年三月一一日、振出地支払地ともに大阪市、支払場所株式会社住友銀行川口支店、振出人申請会社、受取人兼第一裏書人加藤商会、第二裏書人大同株式会社、(ロ)金額二〇〇万円、振出日昭和三〇年二月一一日、支払期日同年四月一〇日、その他の要件は右(イ)と同様、(ハ)金額一五〇万円、振出日昭和三〇年二月一七日、支払期日同年三月二〇日、その他の要件は右(イ)と同様(これが右甲第五号証)の各約束手形計三通を受取つた。当時においても加藤博の人物並に加藤商会が架空なりや否やに関する知識は毛頭なく、又西尾が金融を目的とする大同株式会社をも経営していたので、別段怪しまなかつたのである。右の如く右約束手形取得の経緯と本件株券取得の経緯とは全く別個のものであるから、右約束手形取得の事実を以て被申請人の本件株券の善意取得が毫末の影響をもうけるものではない。

四、疎明関係〈省略〉

理由

証人加藤博、同森田銀次郎(第一、第二回)同沢村彌、同西尾清一(但し一部)の各証言並に譲渡証書の譲渡人の記名捺印部分の印影が申請会社の社印及び社長印の印影であることにつき争いのない乙第一号証の一、二成立に争いのない乙第二一号証の二を合せ考えると、次の通りの事実が認められる。

(一)  申請外加藤博はタンカー専門の運輸業を営む申請会社(この点は争いがない)の会計課長をしていたが、岡三証券に勤めていた親戚の谷本某らの紹介により昭和二八年七月上旬ごろ大阪市東区平野町一の八にある平野町倉庫株式会社の事務所で初対面の同会社代表者西尾清一に対し、計画造船に関していろいろと機密費も要るしするので市中銀行から融資をうけるまでのつなぎ資金として申請会社の持株である丸善石油株式会社の株式を担保に入れるから金一、〇〇〇万円位融通して戴きたいと交渉し、この融資申込みの話は申請会社の取締役社長森田喜代八と会計課長の自分との二人だけで工作していることで、他の重役は与り知らない。森田社長もあなたが正面切つて話せば断るだろうと説明し、いかにも加藤が森田社長から極秘裡に頼まれて秘密金融の交渉に来たもののように話を持ちかけた。西尾は調査の上確実なら貸してもよろしいと答え、右応対のあとで丸善石油株式会社の株式の市場価値を調査したり、加藤が申請会社の会計課長に相違ないことを確かめたりしていたが、申請会社の社長以下重役について直接右金融事情を確かめることはしなかつた。

それから数日後加藤から電話で貸して戴けるかと問い合せて来たので、西尾は所要の書類を揃えて株券の現物を持参するようにつたえた。そこで加藤は申請会社が予て住友銀行川口支店に保護預けしていた丸善石油株式会社の株券(一株の額面五〇円一〇〇株券)の中から一、一〇〇枚(一一〇、〇〇〇株)を申請会社に無断で受け出し、そのころ加藤が申請会社の社印及び社長印を盗用して申請会社事務所で偽造していた申請会社会社取締役社長森田喜代八名義の金額五〇〇万円の約束手形一通、株券に添える譲渡証書(譲受人の氏名を記載していない)の相当枚数、担保差入証、処分承諾書、印鑑照合のためにする少額小切手と共に森田社長の印鑑証明書や資格証明書を揃えて右株券の現物一、一〇〇枚を持参した。

西尾はこれら書類の印影を照合し、且つ加藤の持参に係る少額小切手を支払銀行に振込み同小切手の落ちるのを見届け、右各書類の印影の同一性を確認した。更に西尾は加藤の持参した株券の真偽並に権利関係を確かめるため、加藤に対し、発行会社である丸善石油株式会社の株式係に問い合せてもよいかといつたが、加藤は悪事の暴露するのをおそれて、それは困る、調査するなら自分と同道して貰いたい、株式係には自分が発言してきくあなたから直接発問しないようにと念を押した。そこで西尾は加藤と同道して丸善石油株式会社大阪支社に行き、加藤が株式係と対談したが、その対談中突然西尾がこれは森田汽船の株券に相違ないかと発問しかけたので、加藤はあわててこれをさえぎる場面もあつた。又約束手形(その後の約束手形、小切手も同様)については自分の諒解なしに他え廻さないように西尾に固く頼んでいた。調査が終つてから、加藤は平野町倉庫に対し右偽造手形等と共に担保として右株券(一一〇、〇〇〇株)に右偽造の白地式譲渡証書の相当枚数を添えて差入れ、同倉庫から金五〇〇万円(返済期は約一ケ月後、利息は日歩一八銭)の貸付をうけた。加藤が申請会社名義を冒用してなした平野町倉庫との最初の金融取引はこのようにして行われた。

その後加藤は昭和二八年八月七日ごろから昭和二九年三月二二日ごろに至る間三回に亘つて前記住友銀行川口支店の保護預けの分から計三〇〇、〇〇〇株の丸善石油株式会社の株券を無断受け出し、又申請会社が大阪不動銀行九条支店に担保に供していた分などからは昭和三〇年一月一七日ごろから同年二月一四日ごろにかけ数回に約八〇、〇〇〇株の同様株券を擅に持出しておいて、そのころ前示と同様の方法により数十回に亘り申請会社名義を冒用して平野町倉庫から借入れたり、手形を書換えたり、一部支払つたり等して、昭和三〇年二月末ごろには同倉庫の貸付元利合計三千数百万円、その担保として差入れられた右株券が合計三七五、〇〇〇株に達しているのである。

なお、担保株式については、担保に入れるつど、申請会社が期日に支払わないときは平野町倉庫において適宜処分して貸付金の返済に充て得る。株券の担保価値が減少すれば申請会社において増担保に応ずる、平野町倉庫において右株式を再担保に供することができる取決めもなされていたことが認められる。証人西尾清一、同長尾正俊の各証言中、叙上の認定に反する部分はその他の証拠に照して信用できない。

証人西尾清一の証言及び被申請人本人の尋問の結果とこれらにより成立の認められる乙第二乃至第五号証、同第六号証の一、二、同第七乃至第一二号証、被申請人本人の尋問の結果により成立の認められる乙第一六号証の一、二、に証人加藤博の証言並に前記乙第一号証の一、二、(株式譲渡証書)が被申請人の手裡に存する事実を合せ考えると、更に次の通りの事実が認められる。

(二)  被申請人は平野町倉庫の代表者西尾清一から株券を担保とする融資の依頼をうけ、同倉庫に対し、

1  昭和二八年一一月一一日ごろ金三〇〇万円

2  昭和二九年四月六日ごろ金二〇〇万円

3  同年同月二七日ごろ金二〇〇万円

4  昭和三〇年一月二七日ごろ金三五〇万円

をいずれも利息は日歩四銭、返済期日は二ケ月乃至一ケ月後と定めて手形貸付をなし、右貸付のつど、同倉庫より自己振出の約束手形を被申請人に交付すると同時に(同倉庫が加藤を通ずる前記金融において受取つていた申請会社振出名義の約束手形を利用しなかつたのは、会社の信用上加藤の諒解なしにはこれを他へ廻さないように加藤から堅く頼まれていたからである)、その担保として同倉庫がすでに所持する前記丸善石油株式会社の株券から右1の貸付につき六〇、〇〇〇株、同2につき四五、〇〇〇株、同3につき四〇、〇〇〇株、同4につき五〇、〇〇〇株をいずれも同倉庫の所有株式として加藤の前記偽造に係る申請会社取締役社長森田喜代八名義の白地式譲渡証書の相当枚数と平野町倉庫名義の、処分承諾書とを添えて被申請人に差入れた。尤も、右5の貸付のときに平野町倉庫に渡された株券添附の譲渡証書中には右株主名義人の作成に係る真正な譲渡証書も幾分まじつていることが窺われるが、それが何枚あるか、はつきりしない。これら担保株式については、平野町倉庫が右債務の履行を遅滞したときは、これを適宜処分してその代金をもつて債権の満足に充て、もし不足あるときは同倉庫において不足金を追償する、期間中に株券に故障等生じたときは被申請人の要求に従い代担保、増担保に応ずる、担保株式は同倉庫が現在又は将来被申請人に負担する他の債務についても共同の担保として右同様の取扱いをうけても異議がないとの取決めも、そのつどなされていた。

その後、右1の貸付金については昭和二九年三月末ごろ決済されたが、右234の貸付金は手形書換をなし、その最終弁済期日は、右2については昭和三〇年三月二二日、右3については同年同月一三日、右4については同年同月二七日となつていて、結局これら2乃至4の総債務の担保として被申請人が本件丸善石油株式会社の株券一、三五〇枚(一三五、〇〇〇株)を所持しているものである。

(三)  ところでこのように記名株式を担保として貸付をなすに当り借主側から譲受人の氏名を記載しない白地式譲渡証書と処分承諾書とを添え、しかも前示のような担保約定の下に株券の交付をうける場合は、別段の事情の認められない限り、いわゆる譲渡担保の一態様と解するのが相当である。

(四)  要するに、本件記名株式は、その株券及び前示白地式譲渡証書と共に、まず加藤が申請会社名義を冒用して平野町倉庫から金融をうけるにつき同倉庫に譲渡担保として供し、次いで平野町倉庫が被申請人から融資をうけるにつき被申請人に更に譲渡担保として順次輾転したものということができる。これらの点に関し、申請人は加藤が申請会社名義を冒用し直接被申請人から本件株式を担保として金融をうけたとか、被申請人から直接金融をうけたと看做し得る関係にあるとか(かような主張自体不当たるを免れないと思われるが、この点は別としても)、更に又平野町倉庫の被申請人に対する債務につき申請会社名義を冒用して物上保証をなしたものとみることができるとか主張を認める何等の疏明もない。従つて、かかる主張に立脚する申請人の各主張は、すでにこの点において理由がない。

(五)  次に前記認定の事実関係の上に立つての申請人の各主張につき以下順を追つて検討する。

1  譲渡証書の偽造の場合は小切手法第二一条の準用なしとの主張

記名株式について株券及び前示のような白地式譲渡証書の交付による流通の制度が認められ、かかる方法によつて株式を取得した者は株券及び譲渡証書の占有の事実によつて適法の所持人と推定され、この場合に小切手法第二一条を準用することは現行商法の明かにするところであつて、株式流通を強度に保護する必要上、かかる方法による株式取得者は、取得に当つて一々譲渡人の記名捺印の真偽を調査する義務はなく、たとい株券が盗まれ譲渡証書が偽造された場合であつても、株式取得者に悪意または重大な過失のない限り、株式の善意取得(原始取得)原始取得は何等妨げられないのである。これに反する申請人の見解は採用に値しない。

2  株券担保には小切手法第二一条の準用なしとの主張

本件の如く、株式を譲渡担保として貸付が行われた場合には、一般に貸主は株券提供者との関係で株式上の権利を取得し、ただその株式を債権担保の目的のために利用すべき制約を負うのみである。しかも、かかる場合の株式は譲渡担保の設定と同時にすでに流通過程におかれているのであつて、申請人主張の如く流通の止まつている、流通ともいえない状態にあるわけでは決してない。従つて、かゝる株式の譲渡担保の場合にも、これに対する質権設定の場合と同様に小切手法第二一条を準用すべきことは、疑を容れない。これに反する申請人の右見解も亦採用の限とでない。

(六)  本件株式取得につき平野町倉庫に重過失あり且つ被申請人にも悪意または重過失ありとの主張

そこで被申請人に本件株式の返還義務ありとする申請人の主張が立つか立たぬかは、1金融業を営む平野町倉庫が処分権限のない加藤との金融取引により譲渡担保として本件株式を取得するにつき重過失があつたかどうか、2平野町倉庫が本件株式につき無権利者であるとしても、被申請人が平野町倉庫から譲渡担保として本件株式を取得するにつき悪意または重過失があつたかどうか、の判断にかかる。

ところで、市井の金融業者又はこれに準ずる者の許に株券と譲渡人の記名捺印のみ備えて譲受人の氏名を記載しない白地式譲渡証書とを持参してこれを担保として金融を申込み、金融業者等がこれに応じかかる記名株式を譲渡担保として顧客に貸付を行う場合において、金融業者等の側に小切手法第二一条にいわゆる重大な過失があるかどうかを判断するには、その規準として、金融取引の場における諸般の具体的事情を観察してかかる株券所持者を真の権利者だと信じ又はその人に該株式を処分する権限ありと信じて取引したことが一般経験法則上尤もだと思われるだけの事情があつたかどうかという点を探究すると共にこれと並行してもし取引の場において金融常識に照し、一見疑わしい外観的事実があるか、一応不審の念を抱くのが相当と思われる状況の存するときは、金融業者等はその疑惑不審を解消するに足る相当の調査をしなければならない。そのような事情が存するにも拘らず、かかる調査をせず、担保物件の価値や、白地式譲渡証書の譲渡人の記名捺印が株券上の株主名義人の印鑑に相違ない程度のことを確かめたゞけで漫然金融するような場合は、金融する者の側に重大な過失があるものといわなければならないであろう。株式流通保護の制度のミノに隠れこれを濫用して営利を追求することが許されてはならない。しかし又一旦記名株式が株券に白地式譲渡証書を添えて金融業者の手に渡り、その金融業者の手を経て更に輾転する場合に、その株式を取得せんとする第三者は、前者の金融業者がその権利を取得する過程において一応必要な調査を終え、重過失なしに権利を取得したものであると信じ、かつ、よし将来事故株となることがあつても、金融業者において事故株に対する故障を排除してくれるものと信頼して取引するのが通常であろうから、このような場合にもなおかつ第三者において、さきの金融業者がどうして株式を入手したか、果して株式の権利を有するかどうか等いちいちその経路と由来とをせんさくしなければ不測の損害を被るというのでは、株式取引の円滑は阻害せられ、安心して取引できぬようになつてしまうであろう。従つて、一旦金融業者の手を経て株式を取得せんとする者の注意義務は、特別の事情のない限り、よほど緩和されるものと解するのが相当である。かくして、株式取得者と株券の占有を失つた真の権利者との利害の衝突が調整されなければならない。以下、かかる視点から考察する。

1  平野町倉庫の重過失の有無、

前記認定(一)で説示した通り、昭和二八年七月上旬ごろ平野町倉庫が申請会社を借主名義として加藤を通じて金五〇〇万円の貸付が行われたが、それまで平野町倉庫代表者の西尾と申請会社の会計課長の加藤とは一面識もなく、又同倉庫と申請会社との間には従来何等の金融取引もなく、この貸付が初めてのものであつた。貸付額五〇〇万円、担保株一一〇、〇〇〇株という相当大がかりの取引である。初めての、しかも金額も大きく担保株も多量に亘る取引であり、又西尾は加藤の申請会社における地位が会計課長であるという認識しかもつていなかつたし、貸付の交渉も取決めも加藤との間だけで事を運び、更に金融交渉の場所も金銭並に担保株券の受渡の場所もすべて平野町倉庫の事務所でなされている。それにも拘らず、西尾は申請会社の社長以下首脳部との間に一度の交渉も確認も経ていない。加藤の話ではこの融資申入が申請会社の社長と会計課長の加藤との二人だけの相談に基き他の同族重役も与り知らない秘密金融ということであり、手形は他え廻さぬようにと申出で、又加藤は担保株券の発行会社である丸善石油株式会社についての西尾の調査にも加藤自身の同行を求め且つ西尾自身の発問による調査を封じているのであるから、以上の諸点と相まつて、この金融取引の異常性と加藤自身の挙動に不審疑惑の念を抱くのが相当と思われる状況にあつたわけである。従つて、西尾としては申請会社の社長等首脳部に直接面談するとか、電話による照会等適宜の方法を講じて融資の真否を確かめ、取引にまつわる不審疑惑の念を解消するに足る資料を得るよう努めなければならなかつた。

しかるに西尾のなした調査といえば、前記認定(一)に説示したように、加藤の持参した担保株券の真偽並に市場価値の調査と株券に添えられた白地式譲渡証書、手形その他の書類に記名押捺された申請会社取締役社長森田喜代八の印影と本物の印影との同一性の確認調査に尽きるのである。しかも丸善石油株式会社の株式係についての調査さえも、加藤とは別個独自の立場からなされてはいないのである。西尾の調査の仕方と西尾自身の証言に徴すれば、西尾は加藤を通ずる申請会社との金融取引においては、結局、担保株券を唯一の拠り所としてこれに信をおいてなしたものであり、その調査も担保株券の調査に集約されるのであつて、果して申請会社の社長がかかる担保貸付を諒解しているかどうか、加藤が果して申請会社の社長の意を承けて株券を担保として提供処分する権限をもつているかどうかについての調査は全然なされていない。従つて、西尾が最初の金融取引において加藤の言葉をそのままに受け容れ、担保株券自体の確実性だけに信頼して、加藤に株券を処分する権限があるということに疑をおこさなかつたことは、平野町倉庫に重過失があるというの外ない。

更にその後昭和三〇年二月ごろに至るまで申請会社名義を冒用する加藤と平野町倉庫との間に数十回に亘つて金融取引が行われ、新に借入れたり手形を書換えたり等して右二月末ごろには同倉庫の貸付残額三千数百万円、担保株券三七五、〇〇〇株に達していた。このように金融取引が長期継続化し漸増する傾向にあつたにも拘らず、それらの取引はすべて最初の取引と同様の方法と調査の仕方でなされ、その間西尾は申請会社の首脳陣とはただの一度の面談乃至交渉も持たず、終始加藤会計課長との折衝だけで穏密裡に取引が続けられていた。これらの点は前記認定(一)に説示した通りである。更に証人西尾清一、同加藤博の各証言及び原本の存在並に成立につき争いのない甲第五号証によれば、金融取引の漸増化につれ、西尾は加藤に対し同人の持参する申請会社名義振出の約束手形に加藤自身の裏書を求め、第一裏書欄に「森田汽船株式会社会計課長加藤博」とか、架空のものであることを知り乍ら「加藤商会加藤博」の裏書をなさしめて交付をうけていたことが認められる。かかる加藤自身の裏書を求めるというに至つては、取引の場における西尾の意識状態に寧ろ奇怪の感を抱いてもやむを得ないであろう。

以上の諸点に徴すれば、申請会社名義をもつて平野町倉庫との間になされた金融取引においては、終始同倉庫の代表者西尾は加藤の持参する担保株券のみに信頼し、同株券が果して申請会社社長の承認の下に加藤を通じて担保に差入れられるものかどうか、加藤に株券を処分する権限が与えられていたかどうかということに、全然疑をはさまなかつたとしても、それは同倉庫代表者西尾の重過失といわざるを得ない。尤も、前記各証言並に証人加藤博の証言により成立の認められる乙第二三号証によれば、その間貸付金に対する高金利については、加藤が会社所有の現金を持参して相当程度決済せられ、また金利支払のために平野町倉庫に交付されていた申請会社名義振出の加藤の偽造小切手のうち十数通金額合計約八八〇万円が昭和二八年一二月二日ごろから昭和二九年七月二二日ごろに至る間に交換を経由して申請会社の取引銀行より支払われていることが認められる。もし平野町倉庫が右支払に安心してじごの取引をしていたとしても、右小切手の交換経由による決済はすべて加藤の事前諒解の上でなされていたことが右証言により認められ、この事実及び前記認定の諸事情と較量して考えるときは、かかる支払の事実によつて西尾が加藤を通ずる金融取引になんらの疑念を起さなかつたことについては、やはり重過失あるものといわざるを得ない。(この点において申請会社の側で経理検査を厳重にし、各月における銀行預金残高の明細を適確に把握しておれば、加藤の前記のようなたくらみがもつと早く露見していたであろうが、そのようなことは平野町倉庫の株式取得上の注意義務とはなんら関連のないことであるから、そのために同倉庫の注意義務は少しも軽減されない)。更に、前記各証言によれば、加藤は右金融取引の間に西尾に対し申請会社の計画造船に関する申込書を示したりして、機密の政治献金等が要るというようなことを構えて秘密金融の必要の尤もらしさを説明していたことも認められるが、加藤の右説明によつても、株式担保による金融についての申請会社社長の承諾乃至加藤の株式処分権に関する不審疑惑を解消させることはできないから、西尾が加藤の前記説明によつて疑を起さなかつたことを重過失とすることに妨げとなるものではない。又証人西尾清一の証言及びこれにより成立の認められる乙第二二号証によれば、平野町倉庫が昭和二八年一二月ごろ株式会社日本実業興信所に依頼して申請会社の資産信用状態を調査していることが窺われるが、右調査の内容は、前記金融取引における株式取得の場で要請される平野町倉庫の叙上の如き注意義務乃至調査義務とはなんら関係のない事項ばかりであるから、そのような調査をしたことによつても、同倉庫の前記重過失の認定の妨げとなるものではない。

2  被申請人の悪意または重過失の有無、

被申請人の悪意の点については、これを認めるなんらの疏明もない。

被申請人本人の尋問の結果と証人西尾清一の証言によると、昭和二五年ごろ西尾は肥料会社の社長として肥料の卸商を営み、篠山町にもその出張所を設けていたが、当時被申請人は居村(そのころは日置村と称していた)の農業協同組合の組合長として同出張所を通して肥料の取引をしたことから西尾と知合いとなり、又双方の息子も同志社大学の学友であつたこと等から、被申請人は京都にある西尾の自宅に立寄つたこともあつたが、その後西尾が大阪市内で平野町倉庫を設立して金融業を始めるようになつてからは、被申請人は時折同倉庫に対し不動産担保で小口貸付をしていた。このような間柄にある被申請人の許へ昭和二八年一一月上旬ごろ西尾から本件丸善石油株式会社の株式を担保として金三〇〇万円の融資の依頼があつたので、被申請人はこれに応じ数日を費して金員の調達工作をする一方、株式年鑑で申請会社が丸善石油株式会社の株式三〇〇万株の株主であることや同株式の市場価値を調査し、同月一一日ごろ大阪市東区平野町にある平野町倉庫の事務所で同倉庫代表者の西尾と面談の上、同人から担保株券及びこれに添えられた譲受人の氏名を記載しない白地式譲渡証書の呈示をうけ、同譲渡証書に押捺された譲渡人申請会社取締役社長森田喜代八の印影と同社長の印鑑証明書の印影を照合して同一性を確かめ、更に野村証券株式会社大阪支店で同株券の真偽を質し、結局右株券が本物で譲渡証書の譲渡人の印影に異常のないことを確認し同株券が確実な担保であることを調査した上、前記認定(二)に説示した通り、平野町倉庫に対して最初の金三〇〇万円の貸付が行われ、この分は昭和二九年三月末ごろ、一応決済されたが、その後同様の方法で右説示の通り三回に亘つて合計金七五〇万円の貸付が行われたことが認められ、被申請人がそのつど西尾から右株式が平野町倉庫の所有に属するものとして前記白地式譲渡証書を添えて株券の引渡をうけ結局これら総貸付金の支払を確保するため本件株式一三五、〇〇〇株につき譲渡担保を設定したものであることも、叙上認定の通りである。右各貸付を被申請人の浮貸しとする申請人の主張についてはこれを認める疏明がない。

また右貸付をうけるに当つて、西尾は被申請人に対し平野町倉庫振出の約束手形を交付し、同倉庫が加藤より受取つていた申請会社名義振出の手形やこれに申請会社会計課長加藤博又は加藤商会加藤博の裏書ある手形は加藤の依頼に基いて西尾の手許に保留されており、申請人の主張するような甲第五号証の約束手形(加藤商会加藤博の裏書あるもの)は加藤の前記犯行が新聞紙上に発表せられた昭和三〇年三月上旬ごろにはじめて被申請人の手に交付されたもので、それまで被申請人がみたこともないものであることが、被申請人本人の尋問の結果及び証人西尾清一の証言により認められる。従つて、かかる加藤の裏書ある手形を被申請人の重過失を認定の資料となし得ない。更にこれらの証拠に証人加藤博の証言を合せ考えると、前記認定(二)に説示した最初の貸付の時か二回目の取引の時に本件株券は平野町倉庫が申請会社に運転資金として貸付けた金の担保として取つたものであることを被申請人は西尾から聞いていた、けれども被申請人は申請会社の加藤会計課長に会つたこともなく、又紹介されたこともなく、平野町倉庫と申請会社との間の金融取引が前記1で認定したような軽緯状況の下に加藤会計課長とだけの交渉並に取決めによつてなされていることも、被申請人としては融資当時全然知らないでいたことが窺われる。

そうすると、被申請人のなした調査が、結局において譲渡担保として提供される本件株式の真偽並に市場価値の調査と株券に添えられた白地式譲渡証書の譲渡人の印鑑照合、一言にしていえば担保物件自体の確実性の有無の調査に尽きるとはいえ、右のような間柄にある被申請人が平野町倉庫の代表者西尾の求めに応じて前記認定(二)説示の各融資をするに当り、かかる調査によつて担保の確実性に信頼し本件株式につき平野町倉庫を権利者と信じてなんらの疑念もはさまずに取引するのも尤もだと思われる状況にあつたといわなければならない。

被申請人はあくまで平野町倉庫に融資するものであり、その担保として同倉庫の代表者の西尾から本件株式を取得する立場にあるものである。従つて、被申請人が該株式につき、平野町倉庫がこれを申請会社との金融取引により入手したものであるとの認識をもつていても、同倉庫と申請会社間の金融取引上に不審な点、疑わしい点のあることが一見して感知し得る状況にない限り、被申請人において、本件株式が果して申請会社の社長の真意に基いて流通におかれたかどうか、平野町倉庫が誰との交渉でどういう風にして入手したか等の点についてまで、いちいちさかのぼつて調査せんさくするの要はないものといわなければならない。かかる調査がそのこと自体さほどの労を要するものではなく、電話一本の照会で可能であるとしても、かかる調査の容易性は前記の如き間柄にある金融業者平野町倉庫の手を経て株式を取得せんとする被申請人の注意義務をなんら加重するものではない。

尤も成立に争いのない甲第八号証の一乃至四によれば、昭和二九年三月下旬ごろの各新聞に申請会社の社長森田喜代八が昭和二八年度の個人所得額確定申告で長者番付ベストテンとして報道せられたことが認められ、このことからしても第三者には申請会社の当時の好況を想像することができるし、このことと丸善石油株式会社の株式がいわゆる一流株であるということを根拠として、申請人は、本件株式を担保にすれば申請会社は市中銀行から容易に低金利の金融が得られるわけで、申請会社が本件株式を担保に市井の高利貸から金融を求めることについて被申請人として疑問を抱くのが当然であると主張する。しかし乍ら、本件株式が一流株だとしても、当時市中銀行には業者に対し一応貸出のわくを設けていたことも周知の事実であつて、前記乙第二二号証によれば、申請会社はすでに計画造船としての大型油槽船建造等のためこれらを担保として各銀行より多額の融資をうけていた際でもあり、また相当の会社でもいわゆるつなぎ資金として市井の金融業者から金融をうけることも絶無とはいえないし、殊に前記認定(二)説示の昭和三〇年一月二七日ごろの第四回目の貸付の行われたころには、いわゆる造船疑獄として計画造船に絡んだ政治献金問題がすでに新聞紙上等に喧伝せられて船会社から計画造船に関して裏の金が動いているような印象が当時の市民層の間に広く彌漫していたことも周知の通りである。これらの事情を背景として考えると、申請会社がいかに好況下にあつたとはいえ、また本件株式がいかに一流株とはいえ、被申請人が前叙のような間柄にある西尾から、申請会社はつなぎ資金のため或いは政治献金等の秘密金融のためその持株である本件株式等を担保として市井の金融業者である平野町倉庫より金融をうけるものである、と告げられたとしても、被申請人としては、かかる申請会社の金融事情はありそうなことだ、寧ろそういう事情が現に潜んでいると信じたくなるのが人情ではなかろうか。殊に被申請人は平野町倉庫に対して融資するものであつて、申請会社がその直接の相手方でもなく、また手形上の債務者でもないから、被申請人としては、自分に対する支払義務者でもない申請会社側の金融事情について深く詮議だてする必要もなく、かつまた申請会社側の金融事情については平野町倉庫が申請会社に融資するに際し相当の調査を終えているものと信じて取引するのが通常であろう。従つて、申請会社が市井の金融業者から金融をうけているということ自体で右金融につき被申請人が疑問を抱くのが当然だということはできない。

このようなわけで、平野町倉庫は前記1説示の重過失によつて本件株式につき無権利者ではあるが、被申請人が平野町倉庫に対し本件株式を譲渡担保として前記認定の各融資をするに際し同倉庫を真の権利者と信じ、その権利者であることについて疑惑不審の念を抱かなかつたことに重過失があるものとはいえない。従つて、被申請人は本件株式につきこれを譲渡担保としていわゆる即時取得(善意取得とも原始取得ともいう)したものといわなければならない。

(七)  申請人は、被申請人が本件株式につき即時取得を主張できるのは担保権のみであつて、本件株式上の完全な権利ではない、被申請人が本件株式を完全に取得したのは本件株券に関する一切の事情を被申請人が知つた後であるから、被申請人は本件株式の完全な取得については、悪意であると主張する。しかし被申請人が本件株式を譲渡担保として即時取得したことは叙上認定の通りであつて、被申請人が平野町倉庫との間の前記認定(二)に説示した譲渡担保契約上の権利を行使する段階、例えば本件株式の換価処分の前提として発行会社に対し名義書換請求をなす段階においてすでに叙上の如き本件株券に関する一切の事情を知悉したとしても、そのことのために被申請人は右即時取得に係る本件株式上の権利行使を全然妨げられない。たゞ被申請人としては平野町倉庫との間の譲渡担保契約に基く制約をうけるだけである。従つて、申請人の右主張も理由がない。

(八)  以上の次第で、被申請人は本件株式を譲渡担保として即時取得したものであるから、被申請人に本件株式の返還義務あることを前提とする申請人の本件申請は理由のないものとしてこれを却下し、申請費用は民事訴訟法第八九条に従い申請人の負担とする。よつて主文の通り判決する。

(裁判官 坂速雄 木下忠良 中島一郎)

表〈省略〉

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